5月

 まだ紫陽花の咲く前、新緑の黄緑色が大好きで春はいいなと思う。一言に緑でも、この季節の緑は本当に色とりどりで、緑だけでこんなに色があるのだな・・とただ見ているだけで飽きない。いつかこんな風に緑だけの絵を描いてみたいと毎年思う。

 
てべこは2年生になり、クラス替えでほとんどお友達がいないクラスになった。でも案外と子供は平気なもんなのか、毎日楽しいし新しいお友達がたくさんできたと喜んでいる。たくましさを感じる。
しかし勉強は難しくなり、新しい漢字をおけいこ帳に書いてはむちゃくちゃな字で私が「やり直しやなー」と言うなり切れて泣きわめいたりしている。親は言葉を選ぶことと、子供の気持ちを考えないとダメだなと早々に反省した。初めての字を書くのだから、むちゃくちゃに見えても本人には精一杯頑張って書いているのだ。
算数も、ただえさえ計算が遅く間違えも多いのが、繰り上がりや繰り下がり計算も出てきて最近ではcmやmmも始まり混乱状態。「なんで勉強なんかしなあかんの!」「勉強なんかなかったらいいのに!」と子供らしいことを日々言っている。元気そうで何より。
ダンナくんなどに勉強すると高校や大学へ行ってもっと自分のしたいことができるんだよと言われては、「勉強したくないから、高校へは行かないで働く」と言っている。どんな風に成長するのか楽しみだ。

私は前回に体がいい感じと書いたものの、5月の終わりくらいから徐々に体調が悪くなり、もともと弱い胃がさらに弱って食事もあまり取れないようになった。良くないかもしれないので今いろいろと検査や診察に通っている。もう自分の体もちゃんと知っていかないといけない年齢なんだな・・としみじみ感じている。
子育てをしていく中で、自分でも気づいていなかったくらいストレスを抱えていたのだと今回の病気で知ることができた。

たとえば音だ。私は音に対する敏感さが大きくて、自分が心地よいと思う音でないとすごくしんどくなる。一人の時は、ほとんど無音が安心するのでテレビは昔から好きではなかった。だから結婚してからもテレビも見なかったしそのうち無くなって、しかし子供たちが成長するにつれ音はどんどん増え、かわいい心地いい音や声だけじゃなく、騒音やケンカの言い合い泣き声叫び声としんどいと感じる音も増えてくる。怒ることはエネルギーのいることで、子供に対して怒る時には、したくないことをしているストレスが自分にかかっている。怒るたびに自分がしんどくなる。

子育てはいいところばかりじゃなく、むしろその真っ只中の今は、悩みや嫌だと思うこと、しんどいと思うことの方が多く浮かぶ時かもしれない。思っている以上にストレスを私は感じているのだと気づくことができた今は、それを自分なりのやり方で上手に発散して逃していくことが必要だと思っている。実はこれまた頑固な私は、そういうしなやかに自分を変えれたり譲れたりが苦手な面倒なところがある。そんな自分にも気づいた。
こだわりが強いのは、反面とても融通がきかないということ。自分らしさや筋を通すことが、むしろストレス発散で自分らしくいないとダメになる・・となんか勘違いしていたのかもしれない。その今の環境に自分をうまく順応させていける人こそ、しなやかで強いのだろう。

私らしさにこだわらず、自分の好きなやり方にとらわれず、今の私にはこの2人との「とんでもなくうるさい子供たちとの暮らし」こそを前提にして、日々を過ごすことを一からやり直したいと思う。
体を弱くしたことで心もいろいろ考えた。今更になるかもしれないけど、今からでも私自身がストレスからうまく逃れて体にも負担をかけない上に、子供たちも私と一緒に居て楽しいと思えるといいなぁ、それが一番かなと思っている。優しくて、強くなりたい。
なんだかいつも最後には、こうなりたい、と願いや希望ばかりが出てきている気がする。願うばかりで、そうなれてもいない自分を表しているよう。そんな弱さをさらけだしてもいいからなりたい私をいつも言い続けていこう。そうだ、私はこう思っていたのだと振り返れるように。