年の瀬に振り返ろう

一年の締めのイベントが終わり、作家仲間のみなさんとtoiroのお二人と打ち上げという名のもと、美味しいご飯を食べに行った。


北野ホテル

去年は友達と夜にデザートビュッフェへ行き、その素晴らしさに感動し、今年はスペシャルランチコースをいただく。ここは絶対女子で来るのが楽しいと思う。実際女性しかいないくらいだけど‥
美味しいものを一緒に食べれる友達がいて嬉しいなぁと思う。作品展も続けることにしんどくなること(自信がなくなること)もあるけど、続けることでこんな時間や友達とも繋がれていると思う。

先日、久しぶりの古い友人に私はとても健康的な印象だと意外にも言われた。今年は自分でも落ち込んだ年だったけれど、年とともに心身の疲れがストレスとなってきているのを感じる年だった。ストレス発散が苦手なだし、人に甘えたり助けてもらったりただ話すことが苦手な不器用な人間なんだなーと気づいた年でもあった。自分に健康的な印象はあんまりなかったし、きっと私は自己評価が全体に低いと思う。子供の頃からほとんど褒められた記憶もないので、たぶん自分に自信がないまま大人になっている部分が多い気がする。

今は子供に振り回される日々にやっぱりまだまだ慣れることなくうまく立ち回ることもできず、年々しっかりしてくるてべこ相手に我を忘れて怒ったり涙が出るほど悲しんだり、うまくやるどころか情緒不安定かというほどになることもある。自分の未熟さでしかないとがっかりするけど‥。てべことケンカするたび、不思議にいつも自分と親との関係に振り返る。ひどく言い合いをする時、親に言われて嫌だったことを言ってしまっているのに気づくと、なんとも言えず悲しくて悲しくて落ち込む。こうやって私も自分の傷を改めて気付いて悲しく思う。ただ繰り返すのは悲しいだけだからなんとか抜け出したいともがいている。それでもやっぱり何年たっても何回も同じようなケンカをしてしまう私は本当にいい大人からほど遠いなー。自分のことしか見てこないで生きてきたからかもなー。

まだ私の中ではぐるぐる渦巻いて停滞している気持ちがあるので来年になったからとスッキリうまくいくわけじゃない気がするけど、うまくいかない気持ちや人とのすれ違いをそういう時もあると受け入れていきたいと思う。その受け入れと諦めとの違いがまだ私にはよくわからなくて、諦めの気持ちの方向だと人に興味も情も愛も少なくなる気がする。受け入れるって難しい。今まであんまりできていなかったことなのかもしれない。愛のある受け入れるってどんな風に接することなのだろう。そもそも愛があるってどんなの?そんなこんなと考えてしまったりする私は根暗だ。

寂しさや孤独は付き合い方次第では、たとえ一緒にいる人がいたって感じるもの。家族だって、わかろうとしたり相手の方を見ようとするからこそ一緒にいる実感があるもの。それを忘れたりそこを気づかなくなってしまったら、そういう自分を振り返ってハッとしないといけない。きっと先になって、今を後悔することになる。目の前の人をちゃんと今の目で見ること。そんなことができてない時も、気づいてない時もある。そんな人だっている。人を受け入れることと、自分を受け入れることが目標。あー、私ってややこしいしめんどうくさい人間だなぁ。

2017年は何が待っているだろう。良くも悪くも思い描くものに近づいているのだとしたら、何より子供たちのために良い想いを心に持っていこう。